三度の飯よりCDという考え方

主に同人音楽について適当に語ります。

なぜ苦行を求めるのか~Getting Over Itを悲観主義チックに視てみる~

はじめに

こちらは,CCS Advent Calendar 2020 - Adventar,19日目の記事です.

adventar.org

前日の記事は,四季君です.

note.com

あいさつ

こんにちは,FF14にドはまりして,毎日世界を救うために奮戦しております,珈琲王子です.みんなも一緒に世界を救おう.エオルゼアが危機に瀕しているんだぞ,研究の進捗を挙げている場合ではない!

コミケもないし,今年は割と暇な12月ですね,ちょっと寂しいね.この記事も若干の余裕をもって書いています.嘘です,前日に書き始めました.

 

壺おじとは

さて,みなさんはGetting Over Itというゲームを御存じでしょうか.壺の中に入ったおっさんがスレッジハンマーを使って山の頂上を目指すゲームです.神ゲーです.リリースは2017年という少し古めのゲームですが,何といってもその特徴はその高難易度さにあります,ただ一本の木を乗り越えるだけでもプレイヤーは多大な時間と苦労を求められます.しかし,それでも苦難に立ち向かい多くのプレイヤーが登頂を目指してこの山に果敢に挑んだといわれています・・・.

store.steampowered.com

僕もその一人です.この自粛期間中に大いにハマってしまい一度ならず二度までも,いや五十度までもこの山を登ってしまいました.

ちなみに壺は上るたびに変色していき,五十度登頂すると完全な金色になります.自慢です.

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五十回登りました

そして,このゲームのもう一つの特徴はナレーションと音楽です.山を登る挑戦者への励ましなのか,はたまた煽りなのか,なにか哲学っぽさのある言葉や偉人の名言を山を登るプレイヤーに向かって投げかけてくれます.

やり直しほど厳しいことはない.

 このゲームで聞ける最初のナレーションです.プレイヤーはこの言葉通り,何度も何度もやり直しをさせられることになります.そのたびに流れるナレーション(煽り)に非常にむかつきます.

壺おじというゲームを考えたい

そんなゲームですけど,ハマる人はハマります.なぜか登りたくなる魅力がこのゲームにはあるのです.不思議ですよね.

どうして我々はこのような苦難に立ち向かうのでしょうか.やり直しを何度もさせられ,この苦難に挑むことに何の意味があるのでしょうか.これについてちょっと真面目に考えてみたいです.

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厳しいお言葉

現実世界であれゲームの世界であれ,山登りには独自の特徴があります.どれだけ先に進めるかの保証が全く存在しない.(中略)さらにプレイヤーは ,常に,転げ落ちて,すべてを失う危険にさらされます.

 

シオランについて

さて,壺おじについて考える前に,一つ本を紹介しましょう.今年僕が買った本の中でもかなり面白かった本の一つです.それがこちら,

『生まれてきたことが苦しいあなたに 最強のペシミストシオランの思想』

www.seikaisha.co.jp

なかなかタイトルは衝撃的ではありますが,この本はペシミスト悲観主義)の王ともいわれるシオランという人物の思想と生涯について非常にわかりやすくまとめた本です.生きることを嫌い,生まれてこないことの幸福について語るシオランの思想は,この世界をまた違った視点で捉えさせてくれます.

ちなみに,METAL GEAR SOLID V: THE PHANTOM PAINをプレイしたことがある方はこの言葉をご存じではないでしょうか?

私たちは,ある国に住むのではない.ある国語に住むのだ.祖国とは,国語だ.それ以外の何ものでもない. 

 結構有名ですよね.この言葉はシオランが晩年に著した『告白と呪詛』から引用されています.なかなか強烈な言葉です.

さて,僕がこれから書く内容はこれらの本に少なからず影響を受けています.悲観主義に寄り添いつつ,壺おじというゲームについて考えてみようと思います.

※僕は哲学とかそういったものの専攻ではないので,馬鹿らしい記事かもしれませんが,まあそこは適当に見てください.アドベントカレンダーなので.

 

なぜ苦難を求めるのか

さて,先ほども書いた通り,Getting Over Itはプレイ中,特に落ちた時にナレーションとして励ましの言葉が入ります.ですがこの山登りをやり直しされまくっている我々にとっては,煽りにしか聞こえません.

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数々の励ましの言葉

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いやこれは明らかに煽ってるやろ

このように励ましが煽りに聞こえるほど精神を擦り減らし,我々はこの山に挑みます.

どうしてこのような苦難続き,失敗続きがわかりきっているのにもかかわらず挑んでしまうのか,ということです.

敗北への志向

この理由として,敗北を求める,というのがあると考えます.

ネットが布教し,我々の社会はグローバル化とともに,様々な情報に容易にアクセスできるようになりました.それは世界の広さを知ることができるようになったということです.自分よりはるかに優れた才能を日々見つけることができます.昔は村で一番というだけでアイデンティティを確立できたのに対し,今はどれだけ頑張ったところで,たいていの人は上には上がいること,”本物”を思い知らされます.このような環境では自分の存在意義を見失ってしまっても仕方がないのではないでしょうか.我々は世界の広さに打ちひしがれ,自分よりも上の存在に敗北し続けます.我々は敗北に慣れ親しんでるといってもよいと思います.

敗北を重ね,人生に対して辟易した人間は敗北を受け入れ,肯定することもできるでしょう.敗北を苦労に置き換え,苦労を自らの武勇伝として喜々として他の人へ伝えていく.これはまさに敗北への志向といってもよいでしょう.

 

Getting Over Itでは次のような一節があります.

みかんは,甘くてジューシーな果物.それを覆うのは苦い皮.私が望むチャレンジはこんな見た目ではありません.私は,ただ苦みが欲しい.コーヒー,グレープフルーツ,カンゾウ

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オレンジへのうらみ


我々は敗北を求めるがためにこの山を登るのです.求めるのはただ苦みのみ.

 

Getting Over Itには所謂「ふりだしにもどる」が存在します.我々をこの苦杯から解き放つしかけが.それが蛇です.

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救済

ご存じの人も多いと思います,この蛇,乗ると一気に下まで真っ逆さま.一時期この蛇に乗ってしまって叫ぶ人や放心状態になる人をまとめた動画を見るのが好きでした.(最悪)

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ディオゲネス(壺おじ)の顔は平常,対してプレイヤーは

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まじで煽ってくるなこいつ

この蛇,実に面白いですよね.ここにたどり着いたときにこんなナレーションが流れます.

 同じ,趣向これが私とあなたにはある.これは決して野心ではない.むしろ,その逆.強情なまでの,苦杯を嘗めるという任務.勝利してしまっては,気持ちが悪いでしょう.そこで,蛇を用意しました.

 ここまでたどり着いたプレイヤーにとってはもう残された仕掛けはあとわずかです.雰囲気でももう時期に頂上に着くとわかるでしょう.しかし最難関といってもよい仕掛けの揺れるバケツがあります.これを突破しようとするプレイヤーの前に,『蛇』が置かれているわけです.

しかし,ここまでたどり着いたということは,裏を返せば数々の失敗を経てきたということです.勝利を求める『野心』のある人間というよりかは,むしろ敗北を求める,『苦杯』を求める人間しかここにはたどり着けないでしょう.そんな我々には勝利はふさわしくない.むしろ最大の敗北にしてふりだしにもどるということは最大のご褒美となるかと思います.さあ,蛇に乗ろうじゃないか.ということです.

 

パンドラの箱

さて,少し話を変えてみましょう.皆さんは「パンドラの箱」をご存じでしょうか.ギリシャ神話で出てくるお話ですね.概要はこんな感じです.

神ゼウスは、まだ人間というものに男性しか存在せず、災難というものが無かった世界に、パンドラ(パンドーラ)という名前の最初の女性をおくります。
すべての悪と災いを封入した箱を持たせて。

パンドラは地上に着くと、好奇心からその箱を開けてしまいます。
すると、中に入っていたあらゆる災いが人間界に解き放たれてしまいます。

彼女はあわてて蓋をしました。
すると箱の底には「希望」だけが残った。

 ここから抜粋しました.

「パンドラの箱」を開ける意味、希望が残るとは?【2分で解説】

※ここからの解釈適当なので,詳しい人とかには怒られると思いますが,まあそこはまあ.

 

ここで残った『希望』のことをἐλπίς(エルピス)といいます.このエルピスの正体については諸説ありますが大きく2つに分かれます.それはエルピスが本当の希望であるという説とそれとも偽りの希望であるという説です.

・本当の希望

パンドラが箱を開けてたくさんの災いが飛び出たが,まだ最後には希望が残っている.どんなに苦難に打ちひしがれようとも,最後には希望があるから頑張っていけるのだと.

これは非常に好意的な解釈ですよね.

・偽りの希望

最後に希望が残っていると信じるがゆえに,我々は苦難の道を進み続けるのだ.その希望に本当にたどり着けるのかもわからないのに,そもそも希望が本当に存在するのかさえ分からないのに.

という二つの解釈です.てきとうです.

壺おじはどうでしょうか,エルピスを前者のように苦難の先にたどり着く一縷の希望であるとするなら割と救いがありそうです.

パンドラの箱の概念についてある程度復習したところで,次行きましょう.

 

バッドエンド

さて,壺おじの中で僕が一番意味深だと思う部分を挙げます.皆さんはGetting Over Itにバッドエンドがあることをご存じでしょうか.

数々の苦難を乗り越え,揺れるバケツ,絶壁の氷山を突破したプレイヤーの前に最後の壁であるラジオ塔がプレイヤーの前に立ちはだかります.ラジオ塔を登って,ゴールである宇宙空間へろ飛び立とうとした矢先,ハンマーのヘッドの部分とディオゲネス(壺おじ)がラジオ塔を挟むようにしてハマってしまい,身動きが取れなくなってしまいます.何とか脱出しようともがくプレイヤーですが,それは叶わず,そして一言ナレーションが流れます.

あなたはとても近づいていますが,これは修正できません.これは悪い結末です.

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オワオワリ

これ,マジでやばくないですか.僕も五十回登頂するまでの間に一回だけこの状況になりましたが,こうなったとき得も言われぬ恐怖を感じました.

なぜこれがやばいのかというと,このラジオ塔はほんとうの本当にゴール目前なんです.もうこれを乗り越えればゲームクリアなのに,『成功』が手に入るのに,それにもかかわらず最後の最後に脱出不可能な『失敗』が存在すること,しかもこれがバグなどではなく,ナレーションが流れる,つまり明確に想定された仕様であることがやばすぎます.

もう一度,ゲームの最初あたりのナレーションで流れた言葉を引用しましょう.

現実世界であれゲームの世界であれ,山登りには独自の特徴があります.どれだけ先に進めるかの保証が全く存在しない.(中略)さらにプレイヤーは ,常に,転げ落ちて,すべてを失う危険にさらされます. 

 このように最初に山登りの特徴について,プレイヤーがすべてを失う危険にさらされる,と語っています.まさにこのバッドエンド,今までの努力を否定され,すべてを失うことを表しているのではないでしょうか.人生はよく山登りに例えられます.苦労して何かを成そうとするその最後に,こんな結末があってもいいのでしょうか.

敗北を重ねて敗北を好んで進んできた我々が,愚かにも勝利を求め,救済の蛇を回避してしまったがゆえに,最後の最後に脱出不可能な本当の敗北を思い知らされる.なんて残酷なのでしょうか.恐ろしすぎます.

結局のところ,勝利へのエルピスは本当の希望などではなく,ただそこにあるというだけの絶対に得ることは決してできない偽りの希望ということでしょうか.苦難に立ち向かう我々はそれを本当の希望と信じさせられ,踊らされているだけなのではないでしょうか.

 

あとがき

ここまであまり推敲ができていない矛盾ばかりの乱文を読んでいただきありがとうございました.Getting Over Itをちょっと違った視点から視てみました.

こんな暗い雰囲気の記事でしたが,実際はこのゲーム神ゲーですよ!苦難を乗り越えて掴み取る勝利のなんて心地よいことか!この心地よさが我々を虜にさせると思います.一度登頂した人は二度めを登りたくなる,三度目四度目,繰り返すうちにだんだんと操作がうまくなっていることに快感を覚え,五十度なんて簡単に乗り越えてしまいます.

でもやはり初めての登頂は感無量です!ナレーションも相まって,達成感に満たされます.上へと進みたいという気持ちをもって,泥臭くてもいい,必死に何かを残そうと躍起になることが人間の愛しさだと思います.

ぜひこのGetting Over It,プレイしてみてくださいね!

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I'm glad, you came.(ここへようこそ)

以上,珈琲王子でした!ありがとうございました!

明日は厄災スルメさんです.おたのしみに~.